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余命について考えることがある

さすがにね、齢五十を超えると余命について考えることが増えてきている。そうなってきた要因はいろいろあるんだけど…

一つ目は、祖父や父が亡くなった年齢に近づいてきていることですかねぇ。確か、祖父が亡くなったのが65歳で父が亡くなったのが72歳。今の自分の年齢からすると、それぞれ13年後、20年後。そういった意味では既に人生の3/4以上を生きてきているわけで、どうしても残り1/4の事を考えてしまうんだよねぇ。まぁ、二人はヘビースモーカーで肺がん(父は肺がん由来の肝不全)だったけど、僕は全くタバコを吸わないので違いはあるんですけどね。でも、100歳まで生きるような健康体ではないので、そう大差ない年齢で死ぬんだよなぁと意識はするわけですよ。

二つ目は、ネットの時代になってSNS等で繋がる人達が自分の子供(子供はいませんけど…)のような年齢(と言っても二十代とか三十代)の人達ばかりになってきていることがあるかな。彼等が自分の年齢になる頃には、僕はヨボヨボの爺さんになっているわけで、そうなるとどうしても年齢差というものを大きく意識せざるを得ないんだよねぇ。ある人とメッセージでやりとりしたとき、「君が年寄りになったら、僕は生きていないね〜。」ってついうっかり言ったら「そういう話は寂しいから止めててくれ」って言われたんだよね。でも、年齢差は縮められないのが現実だしなぁと。

そういう、余命を意識させられるような現実が続々と出てきて考えちゃうわけですよ。まぁ、考えてもどうしようも無いんだけどさ。っていう今日この頃でした。

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